■南部縦貫鉄道路線図(1997年5月時点) ※路線図内の位置関係はイメージです。

レールバス [RAILBUS] 一般社団法人南部縦貫レールバス愛好会 | 南部縦貫鉄道の歴史

 南部縦貫鉄道はかつて青森県の野辺地〜七戸間20.9kmを結んでいた鉄道路線です。
 青森県七戸町は奥州街道沿いに位置し、江戸時代は宿場町として栄えましたが、明治時代に青森まで鉄道が延伸する際には奥羽街道沿いを通らず、鉄道の建設は長年の悲願でした。
 戦後、政府の国策として進められた「むつ製鉄」プロジェクトにより、七戸町・天間林村で産出される砂鉄が原料として使用されることになり、その輸送として鉄道開通の機運が高まりました。1952年に地域の名士らにより南部縦貫鉄道期成同盟会が結成され、翌年8月には千曳〜三本木町間27kmの地方鉄道敷設免許を取得し、12月に南部縦貫鉄道株式会社が設立されました。
 資金繰りの悪化により工事が中断することもありましたが、プロジェクト主体からの出資を得ながら、1962年10月20日に千曳〜七戸間15.5kmが開通しました。こうした状況の中、費用の削減を目的として導入されたのが通常の鉄道車両に比べて安価だったレールバスでした。
 ところが開通直後の1965年、政府のプロジェクト中止により開通の契機となった砂鉄輸送が急遽終了することとなり、鉄道は一気に窮地に追い込まれ、1966年に会社更生法を申請、更生会社となりました。鉄道の廃止は免れたものの、1968年5月に十勝沖地震が発生し、甚大な被害を受け復旧に追われ、同年8月には東北本線の複線電化により千曳駅付近が新線に移設されることになり、千曳駅で国鉄と接続ができなくなるなど受難が続きました。そこで地震の復旧とともに、国鉄から千曳〜野辺地間の旧線を国鉄から借り受けることになり、東北本線との併走区間に線路を新設し、東北本線複線電化と同時に千曳〜野辺地間が南部縦貫鉄道の路線として開通しました。
 野辺地〜七戸間は全区間にわたり国道4号線が併走しており、鉄道は通学輸送と農協からの農産物を中心とした貨物輸送が頼みの綱となっていましたが、1984年2月に国鉄合理化により野辺地駅での貨物取扱いが終了し、更なる窮地を迎えます。ただこの頃、整備新幹線計画により七戸町に東北新幹線の新駅建設が決定され、南部縦貫鉄道が新幹線駅に乗り入れることで、野辺地駅を経由して下北半島へのアクセス鉄道として発展させる新たな期待が生まれました。
 ところが国鉄の分割民営化等で整備新幹線の建設は計画通りに進まず、将来が見通せない状況に陥ってしまいました。また国鉄から用地を引き継いだ国鉄清算事業団から野辺地〜西千曳間の用地の買取りか返還が求められ、施設や車両の老朽化も限界に近づいてきたこともあり、遂に1997年5月5日の運行を最後に廃線が決まりました。
 廃線が発表されると、貴重なレールバスを目当てに全国から多くの人々が押し寄せ、新幹線の工事計画も具体化してきたことから廃線直前に営業廃止から営業休止へと変更され、車両や線路は眠りにつくことになりました。
 休止から5年が経過し、東北新幹線の建設は着工したものの、営業を再開するとしても老朽化した設備や車両の入れ替えには莫大な費用がかかり回収できる需要も見込めないことから、2002年8月1日付で正式に営業廃止となりました。
廃止後、眠りについていた線路や設備等の大半が撤去されましたが、七戸駅構内と車両は保存が実現し、今日まで現役時代の雰囲気を残しています。

■年表
1953年8月31日千曳〜三本木町間27kmの地方鉄道敷設免許を取得
1953年12月23日南部縦貫鉄道株式会社設立
1962年10月20日千曳〜七戸間15.5km開通(13往復)
1968年5月16日十勝沖地震により全線運休 ※6月以降順次運転再開
1968年8月5日千曳〜野辺地間5.5km開通(全線20.9km)
1984年2月1日貨物営業廃止
1987年5月29日七戸〜三本木町間の地方鉄道敷設免許を返納
1997年5月6日野辺地〜七戸間20.9km旅客営業休止 ※最終営業日は5月5日
2002年8月1日野辺地〜七戸間20.9km旅客営業廃止